獅子王アレクサンドロス / 阿刀田 高 [国内作品]
赤石路代さんの漫画『アレクサンダー大王―天上の王国―』を読んで、もっと詳しく書いた歴史小説を読みたいと思っていたときに、この作品を発見したのでした。
阿刀田高さんの本は、『ギリシア神話を知っていますか』などの教養エッセイばかりだったので、小説を読むのは初めてです。
アレクサンドロスを書くとき、なぜアレクサンドロスは東へ進み続けたのかというのがテーマになるようだと他の記事で書いたけれど、この作品では、政治を究めるためといっているように思いました。
ゼウス・アモンという神の子だと母に言われ続けて育ったアレクサンドロス。
ミエザの学舎でのアレクサンドロスの「私は神の子か」に対するアリストテレスの次の言葉。
「善なるものを求め続けること、真なるものを探し続けること、神の子ならば、おのずと見えてくるものがある」
アリストテレスは哲学を究めて真実を探し求める。それに対し、アレクサンドロスは政治を究めて真実を探し求める、と思うようになったのではないかと。ただ、東征と政治がイコールで結ばれるのかと言うと、違うような気もしますけど・・。
糧秣の現地調達など、民が可哀相などと思ってしまいました。
歯向かう者は徹底的に打ちのめし、投降する者には寛大で軽い支配に留める。
測量をしながら、道路を作りながらというのは、ローマを思い出します。
海路の帰路をとるネアルコスの業績はすごいなと思いました。
為政はどうなっているのだろう。
マケドニアに残してきたアンティパトロスの手腕あってのもの。
アレクサンドロスにはついていけない。偉大な王なのか・・?
カリスマ性には目を見張るものがありますけど。
特にパルメニオン暗殺のあたりから、おかしくなってきている気がします。
東方ペルシアかぶれ。
現地の民を支配するには有効なことでも、元からのマケドニア人の部下としては、蔑ろにされている気分が否めない。
結果として、文化の融合からヘレニズムが生まれたのだろうけれど・・。
アレクサンドロスの目指すところと、部下たちが目指すところのずれがどんどん大きくなっていきます。
アレクサンドロスよりも、彼を陰で支えるアンティパトロス、パルメニオン、ネアルコスといった人たちに好感を持ちました。
少し前までは東征の途中で亡くなったものだと思っていたけど、引き返してきた上での死だったんですね。
後継者を争うディアドゴイが40年も続くとは。アレクサンドロス自身が生きた年数よりも長いという・・。
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